読書好きなADHD

読書好きなADHD

ADHDと読書。

「ADHDの人は読書が続かない」「すぐ読書に飽きてしまう」というが私の場合は違ったという話。

私は小学生の頃、読書が大好きでした。今は普通だけど。そんな人もいるんだ~っていう一例?です。

1.読書に没頭した小学校時代

突然ですが私は小学生の頃かなり読書家でした。

ADHDの人は気が散りやすいので、読書のような黙々と読むような作業は苦手、と思いがちですが、私の場合なぜか全く違いました。

私は幼稚園の頃は本があまり好きではありませんでしたが、小学校に入ってからは本が大好きになり、小学校がある日はほぼ欠かさず毎日約3冊の本を読んでいました。

具体的には授業の間の休み時間、昼休みは全て読書に捧げ、放課後は帰宅のチャイムが鳴るまで本を読むことで、学内で1~2冊読み、さらに学校から下校する際には図書館から必ず本を2冊借り、家でもずっと読書をすることで一日3~4冊の本を読破。

いつも本を読んでいるときは頭の先から足の先までどっぷり物語にのめり込み、もはや紙を食べているような感覚がするぐらい本を黙々と、いわゆる過集中状態で本を読んでいました。

ちなみに読んでいた本は、児童向けの文庫が中心で、挿絵が多い絵本のようなもの、例えば小学生に人気な「かいけつゾロリ」などの本が苦手で読みませんでした。

また、漫画は親に禁止されており、学校にあった伝記の漫画以外一切読んでいません。

あんまりどんな本をよんだか覚えていなくてどの本が一番好きだったかはピンとしませんが、

「妖界ナビ・ルナ」

「ウォーリアーズ」

といった明るいファンタジーの他

「ダレン・シャン」

「デモナータ」

といった暗め(グロテスク系)のファンタジーも読んでいました。

その他にも

「子ぎつねヘレンがのこしたもの」        

といった動物のノンフィクションも好きでしたが、基本はジャンルとしてファンタジーの本を中心に読んでいました。

2.私の場合は自分を守るため、本を読んだ

私は昔、本が好きでした。

でもその理由は、はっきり言って友達がほぼ皆無で休み時間に話す人がほとんどおらず、本を読んでいる方が楽に孤独な時間を乗り越えられ、本を読んでいる方が楽しいと感じたからでした。

また、ゲームは禁止されていて持っていなかったし、ネットもなく、テレビも禁止されていた上、おもちゃなんてないし、親が共働きなので話し相手もいなかったので、家では本を読むしか娯楽がなかったという家庭的事情もありました。

だから私の場合、孤独を紛らわせるために本を読まざるを得ず、仕方なく読んでいるうち好きになったようなかんじがあるので、もし小さい頃からたくさん友達がいたり、電子機器が身の回りにあったりすればずいぶん状況は違っていたかもしれません。

実際中学校の時にゲーム機で遊び始めたことで読書することが小学校の時より明らかに減り、一気に本を読む習慣が途絶えてしまいましたし。

また最近は一人暮らしをしているので、自由にテレビやパソコンも使えますし、大学の休み時間には孤独でもスマホを使えばいいし、本よりももっと手軽に楽しめる娯楽があるからわざわざ本を読まなくなりました。それに例え読んでもも多分小学生の頃のように集中して読めないと思います。

大学に入ったときは、また本を読もうとたくさん無償譲渡で本をもらい、一部の本は書店でも購入したのですがやはりどうも読む気がおこらなくって放置、部屋の片隅に平積みされて埃をかぶっています。

正直なところ今から思えば、単に小学生の頃は娯楽がなく毎日暇すぎて何すればいいか分からなかったほど暇だったのと、学校の孤独から自分を守るために物語に身を預けて現実逃避していただけのようにも感じますから、読書が好きだったといっても少々特殊かもしれません。

3.最後に

ADHDだから読書が好きかどうかは決まらないし、ADHDだからといって全員読書が苦手ではないと思います。

小学校の頃の私のようにどういう理由であれ本が好きになり、本に没頭できるなら、むしろ気が散るどころか読書に過集中できる場合もあると思います。

ちなみに、私は今も昔も没頭して読める本のジャンルは大体ファンタジーと決まっていて、他のジャンルの本はほとんど読めない、というか途中で投げ出します。

よってもしかしたら今、読書で気が散りがちな人は自分が好きなジャンルの本を読んでいないか、読書より優先順位が高いものや、もっと好きな何かがあるから、読書に集中出来ないのではないでしょうか。

したがって本が集中出来ない人で、本が好きになりたいなら、まず自分の好きなジャンルの本を探して幅広く本に触れあってみるといいと思います。

そして、『この本、このシリーズはどうしようもなく好きだ!!』という本に出会えたなら、少しずつ好きな本の範囲を広げていくことでいろいろな本を楽しめるようになってくると思います。

一方で『そもそも読書が好きじゃない!!』『本が苦手!!』『本を読む時間が惜しい!!』という場合は無理に読まず、諦めてもっと好きなことに打ち込んだ方がいいんじゃないかなと思います。

実際私は今、本を読む時間が惜しい、つまらないと感じるから(本好きの人ごめんなさい)本を読んでいませんしね。

もちろん、今読まなくてはいけない本が苦手で、かつ何かの課題の本とかで絶対に読まなくてはいけないのなら、腹をくくって少しずつ読むしかありません。

しかしもし、絶対読まなくてはいけない、というわけではなければ、無理に読みたくもない本は読まなくていいのではないでしょうか。

だって、面白くなくて気が散り数分で顔を上げてしまうような本を無理に読んだところで、ストレスはたまりますし、休み休み読んで読書速度も遅いのではとにかく時間がかかる割に、楽しんで読んでないから本に書いていることが吸収されにくく忘れやすくて非効率的。

つまらない話は記憶に残りにくいことを考えると、やはり嫌々本を読んでも全く意味は無いんじゃないかと思い、そんな嫌々読むならその時間をもっと有効に活かした方が短期的、長期的視点からも良いのではないかと思うのです。

読書ができないからって何か人生に致命的ダメージを負うわけでも無し。本当に自分の興味がある文章ならきっとしっかりよめるだろうから、そういう自分にあうものを選択して読めば良い。

人間誰しも得手、不得手あるんだからわざわざ読書が嫌いなら負担をかけてまで読書を習慣づけたり、無理に読もうとせず、自分のありのまま、自然に任せる、時々仕方なく読む、じゃあダメなのでしょうか。

私は読書が苦手なら、無理に読書せず、もっと自分がやりたいこと、得意なことを精一杯やったほうが「自分らしく、自分の能力を活かす」という意味でも良いのではないかと思います。

ADHDブログカテゴリの最新記事