ADHD
小中学校の思い出。
1.はじめに
私は小学校に入るまでは、私はまあまあ学校(幼稚園)が好きでした。
でも、小学校時代からは学校に関して苦い思い出がたくさんあります。
なぜなら、小学校に入ると、成績や運動能力、様々な物が比較され、比較するようになっていき、『周りのように上手くいかない』ことに気づかされることが増えてきたからです。
そしてその『周りとはちがうこと』は小中学校のいじめに繋がったからです。
2.小中学校の自分
とにかく、私の学校生活は
雑&忘れ物が多い
ということで覆い尽くされていました。
例えば
なぜか教室の机の中が汚くなってしまう。
忘れ物が多く、体操服、給食当番の服を忘れる。
マイ箸持参なのに、毎日のように洗い忘れる。
教科書、ノート、宿題、提出物忘れ。
計算ミスが異常に多い。
プリントをことごとく無くす。
ほぼ毎日遅刻する。
工作の時間に何を作っても上手くいかない。
などなど。
また、当時の私はじっと先生の話を聞いているだけの授業が拷問のようで、無駄な時間に感じていました。
授業中じっと先生の話を聞くことが我慢ならなかった私は、プリントを破ってみたり、鉛筆を噛んだり、消しゴムを細かくちぎってみたり、靴を脱いではいてまた脱いで履いて・・・・・・
さらに、授業だけではなく、連絡事項も聞いていないですし、配布プリントもよく無くしたり、学校の机に突っ込みっぱなしだったりしたので、親がいつも運動会とかの日を電話で学校に問い合わせてくれていましたね……。
とにかく今から思うと落ち着きのない子どもでした。
しかし、当時の私は逆になぜみんながそんな真剣に授業中ずっと勉強出来るのか不思議でなりませんでした。
『なんでそんな面白くもない先生に話に対して石像みたいに頭一つ動かさずに聞いていられるの~??意味わかんな~い。』
みたいな。
学年が上がるごとに症状は軽減していった気がしますが、6年生になってもプリントは無くすし、連絡事項を聞いてなくて学校行事をすっぽかすし、なくなることはありませんでした。
(でもほぼ毎回体操服、給食服、教科書、何から何まで他のクラスの人にいつも頭を下げて借りにいっていましたしね……軽減したような気がするのは気のせいなのかもしれません)
ちなみに中学校になるといじめが激化し、それが印象的すぎて、いじめられた記憶以外あまり学校生活の記憶がありません。
ただ、なぜか中学校時代、じっとしているのが本当にたまらなく苦痛で、授業中椅子に座っていると、立ち上がって教室を歩き回りたくなる衝動に強く駆られていたことを覚えています。
その衝動は小学校時代のときより鮮烈で、まるで自分の中で何かが暴れているかのようで、必死に理性で抑えていました。
でも最近はそのような大学の講義中立ち上がって教室を歩き回りたくなることなんてありませんし、思春期のホルモンバランスがADHDの症状に影響を与えたのかもしれませんね。
3.ADHDの症状とその他の個性
ADHDの症状は、赤色に青を混ぜたら紫という新たな色が生まれるように、ADHDもその他の個性と混じり合うことによって、学校生活でいろいろな現れ方をします。
例えば、私はADHDの症状と性格が相まって、図工がとても下手でした。
というのも、図工は何を作っても、とにかくずば抜けてひどい。その上作るのが毎回遅くて、居残り。
今から思うと、まずADHDに関係なく、ハサミやノリ、筆など、とにかく道具の使い方が下手だったんじゃないかなと思います。
そこにさらに、ADHDの『作りたいものを途中で何度も変更する所』『最初は頑張るものの、集中力が切れて最後は適当になる所』が加わり、図工が壊滅的な出来になってしまっていたのではないかと。
でも、図工の時間、上手く作れなくて、いつも居残りをしている人がいて、だれがADHDのせいもあるかもしれないな??などと思うでしょうか。
こういうことってよくあることだと思います。
例に挙げた図工の授業くらいたいしたことはないですが、思わぬ場面でADHDのせいで上手くいかないことは色々とあります。
もしADHDの子が何か上手くいかなくて悩んでいたり、困っていたりしていたら、一見ADHDに関係ないと思えても、根底にはADHDが原因として潜んでいるかもれません。
4.最後に
学校ではいろいろなことがあるので、ADHDの本人もそれを支える親も、先の見えないトンネルを延々と歩いているような気分になることもあるでしょう。
でもきっと大丈夫。
いつかその苦労が報われるときがきます。
私だって、半年ほど不登校になったときには祖父母、いとこ、両親の職場の方々などたくさんの方に心配と迷惑をかけましたし、親とはたくさん取っ組みあって喧嘩してきました。
しかし、今では家族全員円満ですし、それなりにまともな大学生で、充実した学校生活を送れるようになりました。
でもこれは全て、最後まで私の周りにいた大人達が私を見捨てずに支え続け、甘やかさずにきちんと厳しく叱ってくれたおかげなのです。
もし、私が不登校のとき、誰も私に向き合い話し合い、手をさしのべてくれなかったら、今でも家に引きこもっていたかもしれません。
また、親が私のことを『ADHDの症状だから仕方が無い』となんでもかんでも甘やかし続けていたら、叱られることを知らない、本当にどうしようもない大人になっていたかもしれません。
今では必死に私を育ててくれた家族や周囲の方々に感謝でいっぱいです。
だから、ADHDの人が学校生活に関して辛そうにしていたら、本人が一番苦しい思いをしているので、ちゃんと話を聞いて向き合ってあげて欲しい。
そしてADHD関係なく、本人のために、叱るべき時にはちゃんと叱ってあげて欲しいなと思います。